景色良し、音悪し
2008年 02月 12日
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引越してから日は浅く、本当に置いただけのシステムである。
景色は良いが、音は悪い。
前の家はアメリカの住宅で良く見る、分厚いフェルトを敷きこんだ上にカーペットを張った部屋で、中域の大事な音を殺してしまう最悪の部屋だった。
オーディオに対する情熱を失ったのは、あの部屋ではなにをやっても無駄だと思ったからだった。
この家に引越して音を出してみると、いくらかマシなようだが部屋の素性は掴み切れていない。
考えを新たにして、もっとシンプルなシステムにしたい欲求もある。
部屋が与える影響こそが音に対して最も大きな要素であり、次はセッティングなど使いこなし方で、機器の違いなどは3日もたてば思い出せないくらいの僅かな違いしか生まないと確信している。
極端な話、音の良い部屋を造ってしまえばオーディオという趣味はほとんど「アガリ」であり、音の悪い部屋ではどんな機器もその実力を発揮する事はできないだろう。
音楽を聴く上で、機器の違いによる差異などは些細な事と判ってはいても、簡単に部屋を変えたりできないし、しないので機器の変更という「枝葉末節」に血道をあげ一喜一憂するのがオーディオという趣味である。
「井の中の蛙」という言葉と「部屋の中のオーディオマニア」は同義であり、その場所以外での音を知らぬゆえ、したり顔で「どこぞのメーカーでなければこの音は出ない」だの「この機材を導入して激変した」だの世迷い言を繰り返して飽きないのだろう。
同じ機器を持ち歩き、転居を繰り返していると判ってきたのがそんなことである。
しかし、そんなことは判っていても愚にもつかない思い付きで色々やってみたくなるのがこの趣味に堕ちた者の常でもある。
まだまだ遊べそうだし、遊ぶつもりである。
景色は良いが、音は悪い。
前の家はアメリカの住宅で良く見る、分厚いフェルトを敷きこんだ上にカーペットを張った部屋で、中域の大事な音を殺してしまう最悪の部屋だった。
オーディオに対する情熱を失ったのは、あの部屋ではなにをやっても無駄だと思ったからだった。
この家に引越して音を出してみると、いくらかマシなようだが部屋の素性は掴み切れていない。
考えを新たにして、もっとシンプルなシステムにしたい欲求もある。
部屋が与える影響こそが音に対して最も大きな要素であり、次はセッティングなど使いこなし方で、機器の違いなどは3日もたてば思い出せないくらいの僅かな違いしか生まないと確信している。
極端な話、音の良い部屋を造ってしまえばオーディオという趣味はほとんど「アガリ」であり、音の悪い部屋ではどんな機器もその実力を発揮する事はできないだろう。
音楽を聴く上で、機器の違いによる差異などは些細な事と判ってはいても、簡単に部屋を変えたりできないし、しないので機器の変更という「枝葉末節」に血道をあげ一喜一憂するのがオーディオという趣味である。
「井の中の蛙」という言葉と「部屋の中のオーディオマニア」は同義であり、その場所以外での音を知らぬゆえ、したり顔で「どこぞのメーカーでなければこの音は出ない」だの「この機材を導入して激変した」だの世迷い言を繰り返して飽きないのだろう。
同じ機器を持ち歩き、転居を繰り返していると判ってきたのがそんなことである。
しかし、そんなことは判っていても愚にもつかない思い付きで色々やってみたくなるのがこの趣味に堕ちた者の常でもある。
まだまだ遊べそうだし、遊ぶつもりである。
by darda95_215
| 2008-02-12 18:20
| audio
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Comments(2)
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